ご由緒

久伊豆信仰

久伊豆神社は、元荒川を中心とする埼玉県の一部だけに見られる神社で、氷川神社と香取神社の中間地帯を形成しています。江戸時代には、北埼玉郡に15社、南埼玉郡に38社を数えました。分布上からみると氷川・香取・久伊豆の三社は、はっきり帯状にあって、香取神社は古利根川の左岸、久伊豆神社は元荒川の流域で利根川への合流点まで、氷川神社は綾瀬川を境に西部地域の入間水系の流域に分布していることがわかります。これは、中世における神職の活動範囲によるもののほかに、各地域の在地勢力を背景とした信仰があったものと考えられています。

久伊豆神社の総本社は、正確にはわかっていませんが、埼玉県加須市騎西に鎮座する玉敷神社が江戸時代まで久伊豆大明神と称しており、久伊豆神社郡のうちでは唯一、平安時代に編まれた『延喜式』にその名が記載されており、古くから信仰されていた神社であることは間違いありません。

一方、岩槻は、縄文時代からの遺跡があり、埼玉県内でもかなり早くから人が住み、古くから栄えていました。平安時代には武蔵武士団の活動も活発であり、古い時代から御霊分けを行っており、またその地域的特徴から、当社は特に古くから信仰の対象となっていたと考えられています。

 

氷川神社・久伊豆神社・香取神社の分布地

(西角井正慶著『古代祭祀と文学』中央公論社 昭和41年初版より引用)